結論
まず、TOEIC対策をするとかほざいて書いていた以下の記事たち。
本当に情けない…。この本をやりきること無く終わってしまった(おいおい)。
点数が出たら公表するが、まず間違いなくこの本が悪いのではない。僕が悪いのである。本のメソッドが悪かったとか、取り組み方が悪かったとかも全くない。やりきっていないのだから、何が悪かったのかの反省もすることができない。
そして、対策のためにわざわざ新しく買った以下のTOEICの公式問題集は一瞬たりとも開いていない。というか今どこにおいてあるのかもパッと思い出せないでいる。
公式 TOEIC Listening & Reading 問題集 3
- 作者: Educational Testing Service
- 出版社/メーカー: 国際ビジネスコミュニケーション協会
- 発売日: 2017/12/08
- メディア: 大型本
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本当に自分の実行力のなさにはウンザリした。
大反省会
計画に関して
まず物事をすすめるための基本は「計画」にある。計画があまりに無茶(例えば1日25時間勉強するとかは明らかに無理)である場合には、その時点でアウトだ。僕の勉強計画は決して無茶ではなかったと思う。
せいぜい一日1時間半掛からない程度の勉強量を続けるだけだった。それにそもそも時間がなかったのだから、もっといい方法が無いのかなどと迷う要素もなかった。あるものをこなす。それ以外に無かったし、それをやりきるのは客観的にも難しいことではなかったはずだ。
実行に関して
こちらが最悪である。
単純明快だ。時間があるのにやらないのだ。他のことを見つけてしまう。突然量子計算の勉強を始めてみたり、ベイズモデリングの勉強に復帰してみたり。優先順位が高くないようなことに時間を割いてしまった。
ではそのとき、優先順位を履き違えてしまっていたのだろうか。いいやそんなことはない。優先順位はTOEICの方が上であることを認識した上で、あえて他の勉強をしていたのだ。なぜだろうか。これも単純だ。TOEICよりも技術的な話を勉強するほうが圧倒的に楽しかったからだ。
しかも無駄ではないし、それどころか今後発展の余地が十分にある分野であるし、自身の市場価値を高めるものであるという自己暗示が、極めて強く作用していたように思う。TOEICよりも価値のあるものだと自分に言い聞かせていた。
どうやら僕は自分が興味を持ったり、あるいは実行することに根本的に納得していない限りは、どうにも手が動かないタイプの人間らしい。
自己分析
どうだろうか。なんと頑固者であろう…。だけどやり始めたらすごくのめり込んでいくタイプであるような気はしている。そこだけはまあまあの強みだ。
そこでだ。単にTOEICで点数を上げることをゴールに掲げてはいけないような気がする。今回は2週間でTOEICテクニックを駆使してどれほど点数を上げられるか(それと同時に使用した参考書のレビューをする)という目的で挑んだのがまずかった。
TOEICをやらなければならない前提で、それを正当化する納得もいっていないような目的を設定してしまった。
TOEICで点数を取ったらお金くれるとか、TOEICで点数取ったら転職市場で強くなるとか、そういうのが無いとやっぱりやる気がしない。もちろん小目標として点数を上げるというのはあるんだけど、その先にもっと意味のある上位目標がほしいのである。
将来外資系で本社の人間とやり取りするような仕事に就きたい!などという野心があればもうちょっと違うのだろうが…。
試験当日
まあ勉強をしなかった言い訳はこの辺にして、とりあえず点数が公表され次第報告しようと思う。
試験当日は英語が聞き取れた感覚はまったくなかった。すごくボーっとして頭が回らなかった気がした。リスニングの能力は全く向上していないようである(むしろ、点数として悪化しているんじゃ…?)。
ただPart5だけは異様な高速で解けた気がする。確かにわからない問題は潔く諦めたことでのスピードアップだったかもしれないが、確かに高速で「分かる」という感覚の問題も多かった気がする。これは直前対策が効いたと行っても良いレベルだった気がする。
しかし、まあこれだけだ。他のPartはそもそも勉強できていないのだから検証のしようがなかった。もうテストが始まる前からそんなことは分かっていたので、わからない問題はガンガン飛ばしていき全体としても時間が余った。ただ、真面目に取り組んでもわからなかった問題ばかりかもしれないし、そういう意味では分かるであろうところに時間を割いて解いたと言えばそうなのかもしれない…?
次を見据えて
次は実は9月に受けることになっているので、またどこかで勉強をしなければならない。ああ、今度はコツコツ単語や文章を頭に入れつつ、声に出していこうかな。結局はそれが喋るという観点に置いても重要だし、喋れるならその音は聞こえるであろう。喋れるならその文章も恐らく読めるだろうと思うし、今度はあえてTOEICの対策をしないというガチンコ英語研鑽に励むのもありかもしれない(あーどうせやらない…)。