給料どのように決まるか
給料は高いほうが嬉しいが…
きっと誰でもお給料は高いほうが良いと思っているはず。特に、全く同じ仕事をしていて、 それで給料が違ったとしたならば「おかしい!」と感じてしまうだろう。
もしも自分の方が高かったならば「ラッキー」といったところだろうか。
実際の世の中では、全く同じ仕事をしていて給料がなぜか不当に異なっているということは、普通に見ていたらわからないと思う。そもそも「全く同じ仕事」なんて状況はなかなか無いはずだ。
しかしそれでも、世の中ではこのような不公平なことは起こっているかもしれない。例えばコンビニのアルバイトは地域によって給料が違うだろう。だけどやっている仕事はだいたい同じなはずだ。
大抵の人は「都会だから給料が高い」くらいの言葉で片付けてしまう。まあ、都会に住んでいて、実際にそのような仕事にありつけるのであれば、「嬉しい、ラッキー」以上に考えることは無いのかもしれない。
だけど、やはりそうなるような理由があるはずだ。
給料の差異は仕事量から?
まず都会と田舎では忙しさが違うのではないか?という事が考えられる。コンビニと言えど、品出しやレジ打ち、その他諸々いろいろな仕事をこなさなければならないと思われる。
都会と田舎ではこれらの仕事の絶対量が変わってくるだろう。仕入れは量も種類も都会の方が多いかもしれない。お客さんも絶え間なく来るので、レジでの対応にも追われてしまう。「1回1回の動作」としては田舎も都会も同じであろうが、その回数は明らかに変わってくるのではないだろうか。
では、給料というのはこのような仕事の量のようなもので決まっているのだろうか。
仕事量の少ない高級取り
おそらく仕事の量というのは給料を決める上で重要な指標になりそうだ。しかし果たして本当にそうなのだろうか。今はわざわざ仕事を固定して考えるためにコンビニを選んだ。そして明らかに時給の異なる田舎と都会で比べることで、恐らく仕事の量が関係していそうだと考えたわけである。
もっと広く考えて、一般的な話題に広げていこうと考えると、仕事の量で決まっているのだと考えるのは明らかに早計だ。例えば弁護士を使おうと思うと結構なお金を取られる。コンビニは仕事の量としてはかなり大変かもしれないが、専門的知識が必要かと言われるとそうではない。覚えることはたくさんあるだろうが、やりながら覚えていける。
弁護士はそうではない。まずなるのに資格がいるし、仕事を開始するまでの難易度が明らかに高い。だから1回の仕事で結構なお金を頂くことができるだろう。まあ考えるまでもなく、仕事の難易度、就業コストみたいなものも給料には反映されている。
難易度が高く、かつ仕事量が多ければ給料が高いか?
難しく、高尚で、しかもかなりの時間を仕事に割かなければならないとしよう。これはもう、明らかにたくさんの給料を貰わなければ納得がいかないだろう。
「そうだ、きっと難易度と仕事量によって給料は決まっている!」という勘違いは以外に世の中に多く存在していると思う。
これが単なる幻想であり、全く持った筋の通らない主張であることを述べたい。
例えば、信頼性と性能の高い「アナログテレビ」を作るのは結構難しい(性能ってなんやねん、ってのはとりあえず置いておく)。一方で「デジタルテレビ」の性能と信頼性を出すのは、アナログほど難しくはない。これは物理的な現象によって生ずる難易度の差である。
まあ、まずこのような事実があるとしよう。さて、では「アナログテレビ」の信頼性と性能を「デジタルテレビ」同様にまで非常に苦労して(デジタルテレビの開発よりも遥かに多くの仕事をして)高めた場合、その人の給料は上がるのだろうか。
苦労したエンジニアからすれば給料をもっと貰いたいという声が出るかもしれないが、残念ながらそのテレビは売れないのである(きっと重さや薄さで敗北する)。
達成プロセスの難しさは給料の高さには結びつかない。
需要と供給によって決まる
要するに買われなければ意味が無いのである。たくさん買いたい人がいて、それが高くても構わないと思っていただけるならば、商品のコストとなる人件費、すなわち給料を高くしても構わない。しかし、買いたい人がいない場合にはその給料を払うことができないのである。
一見「難しい仕事」の給料が高く見えるのは、単にその仕事を供給できる人が少ないからである。供給が少なくとも、需要がそれより更に少ないならば給料は払えない。
大抵の場合は、需要があるのだが、その難しい仕事をこなせる供給者が少ないために、高度な仕事の給料というのは高く設定されている場合が多いだけである。需要を見誤ることがあれば、必ずしも難しい仕事に高い給料が払われるとは限らない。
給料を払うのはお客さんである
ここで更に勘違いしてはいけないのは、「需要と供給」を「経営者と労働者」という形で分けてしまってはいけないということだ。これは僕が心から徹していることである。
経営者がボンクラだとすれば、要するにアナログテレビを高性能化しようという路線でいってしまう。当然、仕事はかなり難しくなる。だけど売れないから給料は低くなってしまう。しかも大抵の場合、コレほど路線を間違えてしまっているということに気付けるケースは少ない。
給料をあなたに渡してくれるのは経営者かも知れないが、その根源はお客さんからの支払いである。要するに給料を払っているのはお客さんなのである。
勘違いが招く危険な市場
いくら転職市場が売り手市場と呼ばれようとも、自分が手を組もうとしている経営者が、お客さんの需要を掴んでいないとお話にならない。これはお客さんが給料を払っているものだと考えれば納得できるはずだ。
しかし次のケースはどうだろう。お客さんの需要が極めて高い領域で勝負を掛けようとしている会社がある。つまりニーズはガッチリ掴めているのである。このような時には安全だと言えるのだろうか。そうではない。
需要と供給を思い出せば簡単だ。需要が高かろうと、供給がもっと高かったとしたらどうなるだろうか。要するに、お客さんの需要が高いことなんて誰の目から見ても明白なので、いろいろな会社がそこで勝負を仕掛けているのである。しかし給料を払うお客さんの数には上限があるので、限られたパイの奪い合いである。
このことには、もしも「需要と供給」を「経営者と労働者」という括りでみてしまったら意外と気づけないのである。その仕組みは以下のようなものだと思う。
1.非常にニーズの高い領域が見つかる
2.たくさんの企業が参入を試みる
3.その領域の労働者の需要が高まる
4.たくさんの企業が労働者を奪い合う
5.労働者と経営者間での需要と供給バランスが崩れる
こうなったときに、労働者の供給が追いつかなかったとて、給料が上がるとは限らないことは、ここまで読んでいればすぐに分かるはずだ。しかし、もしも労働者と経営者の間の需要と供給のバランスにしか目が行っていない場合は、「労働者が足らない」ならば給料があがると思ってしまうのである。
労働者を求める企業からのニーズが高まったとて、それはお客さんのニーズが高まっていることとは直接的には関係無い。
100人の村で100%のニーズが合ったとしよう。お客さんは100人だ。
会社が10個あって、すべての会社がその市場に参入したら、会社1つ辺平均的には10人のお客さんしか抱えることができない。会社がなんとかかんとかして、市場のニーズに応えるべく労働者をかき集める姿勢を見せても、お客さんの総数が増えるわけではない。
ニーズが20%しかないような事業でも、参入が1社ならこちらのほうが良いかもしれない。いつでも給料を支払うのはお客さんである。