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本ブログで真面目なことを書くので、こちらではごく日常的な雑記で行きたいと思います

「何かをする」って「何かをしない」ってこと

 

 

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「何かをする」ことは「何かをしない」こと

「何かをする」っていうのは「何かをしないって」ことと同義です。何を言っているかよくわからないでしょうけども、人生において資源は有限であることを考えると、それはごくごく当たり前のことのように感じます。

 

例えば、お金が10000円しか無いとしましょう。スプラトゥーンもやりたいし、スマッシュブラザーズもやりたい。どちらか一方のソフトしか買えない。他方を買うというのは、他方を買わないという決断をするのと一緒です。

 

さて、お金ならまた貯めれば良いでしょう。しかし、どちらも対戦がメインのゲームでです・もしもお金が貯まって他方を買う準備が整ったときには、インターネット上では流行がとっくに終わってゲームの醍醐味を味わえないかもしれません。そうなれば、よもや、最初の決断で完全に他方を楽しむことを捨てたことになってしまいます。

 

さて、例がそれほど良くはなかったかもしれません。ゲームの話ではそれほど「他方を捨てた」という実感が沸かないでしょう。では、車ならばどうでしょうか。1300万円を頑張ってためて、「日産GT-R」に乗るのか「テスラモデルX」に乗るのか。

 

一方を選ぶと他方を買うことはそうそう容易くは実行できないでしょう。それでも、先に買った車を売ってしまったり、何かしらやりようはあるのかもしれません。また、そもそも全くもって楽しみ方が違う車です。自分の好みも考慮し、ちゃんと選択すれば後悔したりはしないでしょう。

 

 

取り返せない選択に迫られている

これまでの例は、なんとか頑張れば取り返せそうな話や、そもそも選択を悔いる必要もない話題でした。しかし、私達は常に「取り返すことの意識すらしないままに何かをしない選択」をし続けているということは実感するべきでしょう。

 

常に絶えず、何かをし、その瞬間は他のすべてをしない選択をし続けているのです。

 

そのように考えると、本当に、1日1日がとても大切に感じられます。ちなみに私はだいたい1時間単位くらいで選択を迫られている感覚を持っています。選択を迫られているというとネガティブですが、それくらいメリハリを付けて生きていきたいと思っているのです。

 

 

人はいつか死にます。あなたは大切なことを「何かをしない」側に入れてませんか。