はじめに
2ヶ月前だか1ヶ月前だか…、覚えてはいないが、製造業での工場実習の是非がツイッターで話題になった。あのツイッターでの反響をある程度覚えているのだが、騒いでいる当の本人たちが、それぞれどれくらいの思い入れでツイートしているのかはわからなかった。
大体個人が自由に発信するSNSなので、当事者ではない人の反応も多分に含まれているだろう。目立ったのは「そんなくだらないことをやるより、実業務をやらせろ」という意見であった。
工場実習の是非
様々な意見
僕の知っている工場実習は、組付けや検査など、実際に工場のラインに入って作業をすることだと認識している。このことにどれ程の意義があるのか疑問である人たちが多々いた。彼らの意見の多くは
・大卒、院卒にしかできない仕事をさせるべきである。
・工場実習に当てる数ヶ月を、専門分野の特化に当てるべきである。
・(ツイッターのコネクション上IT系が多いため)データ分析だけさせろ
というものであった。
一方で、工場実習を肯定する意見は下記のようなものだ
・今後携わる仕事から見て、後工程(最終工程)を知るべきだ。
・現場こそが主流なのだ。
・新人はこれくらいやらなきゃ。
色々あったように思う。別に誰か特定の意見を引っこ抜いているわけではなく、こんな感じの雰囲気を感じたという程度の話、ようは僕の感想である。
まず、「新人だから」とか「データ分析(やりたいことだけ)やらせろ」とかは問題外でTHE UNKO!なのでどうでも良い。論じる価値もない。で、ほかはある程度、重要視するか否かはともかく、主張の意義は汲み取れる。
否定側に立つ
まず、時間は有限である。
仮に働ける期間が半年だけだったとして、果たして3ヶ月も4ヶ月も工場実習に行かせるだろうか。経営側も今すぐにでも業務に本腰を入れてほしいはずである。そして、労働側も少しでも早く業務に慣れ、何らかの貢献をしたいと感じているはずだ。
本来、有限な時間を割くべき場所は工場実習よりも実業務である。
という主張は一理あるはずだ。
肯定側に立つ
しかし、時間は有限であっても半年しか時間がないわけではない。長期的に見た場合には「工場実習の経験」が実業務に良い影響をもたらすと考えられる。
具体的に考えられる良い影響とは
・DFM(design for manufacturing)の考えの手掛かりになる
・最終工程から上流工程の仕事の課題点を体感できる
と言うものが考えられる。IT分野で言えばコーディングやテストを知らない人に設計をしてほしくないという考えと同じである。
工場を知らない人は容易に「製造できない製品を設計する」のである。
何が問題なのか
立場の違いだ
立場次第ではどちらの意見も納得できる部分が存在する。工場実習を実践できるのは、ある意味「企業の余裕の現れ」にも個人的には感じる。もしも社員を1年足らずで使い捨てるつもりならば、工場実習など行かせること無く、間違いなく業務に早く慣れて少しでも多くアウトプットを出してほしいと感じるはずである。
しかし、「業務スキルを高める時間に割きたい」という一個人の意見がより尊重されるなってきたようにも見える。いや、もともとそうだったのがSNSなどの発展でより顕著に見えるようになっただけかもしれない。スキルの高い人間からすれば、別に労使に上下関係など本質的にはないのだから、手を組みたくない相手とは組まないという選択肢を取ることもできる。
(だから「やりたいことだけやらせろ」という人が出てくる。だがこれは別問題だ。上下関係など無いのだから個人を尊重する義理も経営側にはない。もしも本気で経営側が「工場実習しろ」と言ったら「Yesでお金をもらう」か「Noで辞職」なのであって、「金はもらうし好きなことやらせろ」は無い)
時代の違いだ
日本は長らく企業で育て、終身雇用で、年功序列であるというのが主流であった。なので経営側(肯定側)の「時間を掛けてでも工場を知って設計に活かして欲しい」という考えはある程度認められるものであったと思う。
現在はどうだろうか。工場で実習をさせた挙句、企業の方針がガタガタで、学んだことを活かす前に配置転換が起こったりしていないだろうか。組織改編が頻繁に行われ、工場側と築いた人間関係もすぐに疎遠になったりしていないだろうか。
そうだとすれば、意義があったはずの部分すら価値を失ってしまう。
そんな方針でやっていれば、優秀な人間に「No」を付けつけられ、人は集まらなくなってしまうかもしれない。そうなれば一番損するのは企業側である(イチ優秀な個人は他の何処かで幸せに暮らすかもしれない)。
エビデンスを出そう
日本には数多くの巨大な製造業がある。工場実習を行っている企業も沢山有るだろう。これだけ多くの人が毎年毎年工場に数ヶ月間送られ、そして自分の業務に戻ってきているのだ。何らかのデータは取っていないのだろうか。甚だ疑問である。
もしも工場実習の経験が明らかに仕事に価値を出すようなことが、人間の目から見ても明らかなのであれば、データ分析をすればもっと鮮明になるはずだ。
工場実習に行く部署・行かない部署、行く企業・行かない企業、工場実習が長かった年・短かった年、これまでの伝統の中で信じられないほどの数のデータが集まっているはずである。
エビデンスを出そう。感想文ではなく、数値を出そう。
無論そんなことはできないだろう。「工場実習に行った人が、行かなかった人に比べてどうであったのかを検討するためにデータを取る」ということをしていないのだから。
人事・教育を科学的に
僕は「ものづくり」に携わるならば「工場には行くべき」だと考えている。ライン工をやること、そしてその期間が適切かどうかは知らないが、「工場には行くべきだ」と信じている。
しかし、「信じている」なんていう儚いコトバ以上のことは言えないのだ。そうは思わないと言う人がいても何もおかしくない。製造業よ、そんなにその教育方針に自信があるならエビデンスを出せ。信用を勝ち取れ。人が来なくなるのも近いぞ。せっかくデータ分析が盛んになってきたのだ。もっと科学的に人事・教育を行うべきではなかろうか…。