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本ブログで真面目なことを書くので、こちらではごく日常的な雑記で行きたいと思います

【途中やりの何が悪い?】作業は小分けに出来るときに出来るだけ進めるべし

 

 

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時間の掛かる作業を小分けにしよう

時間の掛かる作業への直感的印象

「○○は4時間位掛かるからなぁ、そんなまとまった時間取れないよ…」 というふうに思った経験は無いだろか。4時間といえばだいたい業務時間の半分を取ることになる。そんなまとまった時間は中々取れないことが多い。

別に仕事の話じゃなくても良い。何かの自己研鑽をしている場合でも同じである。

だいたい一気にやった方が捗る気がするし、ソッチのほうが頭があっちこっち散乱せずに済む気もする。

要は、1つの物事は一気に片付けたほうが良いのだ!

というのが直感的な印象である。

 

しかし、大体の物事は、30分で簡単に終えられるという事は稀だ。では、まとまった時間が必要な仕事というのは、まとまった時間を取らない限り終えられないのだろうか。

もしそうだとしたら、仕事ならば残業して時間を捻出するしか無い。自己研鑽ならば土日(あるいは休み時間)を返上するか、たまに夜ふかしをするしか無いのだろうか。

 

本当に4時間も集中していられるのか?

4時間というのは単なる一例であるが、ではまとまった4時間を使って、本当に自分は仕事に集中してのめり込むことが可能なのだろうか。

今までの経験を色々思い出して欲しい。TOEICのテストはリスニングが45分、リーディングが90分の計2時間15分(本当はリスニングは44分かもしれないが誤差だ)である。

これに費やさねばならぬ集中力といったら、まあまあなもんではないだろうか。コレは僕が英語を不得意としているからかもしれないが、900点を超えるような人たち(要はTOEICの英語自体は苦なく読める人たち)にとっても集中力は課題となるようである。

おそらく、まとまった時間を使っても、相当気を張って意識していない限りは思っているほど捗ってなどいない。

きっと、4時間まとまった時間を取ったのならば最初の30分や1時間くらいガッと集中して、その後はダラダラと作業し、残り1時間くらいが迫ってきて再び焦って集中力を取り戻す。というようなやり方だろう。

 

1時間の小分けにしても良い

もしもそのような実感がこれまでの経験であるならば、

多くの時間を要する作業を1時間くらいの小分けにしてしまってもよいのではないだろうか。

「はい、作業スタート」

そう言われたときから残り時間は1時間である。かなりスピーディーに、集中力を保ちつつ作業に取り組まないいけないと、強く実感するはずだ。そうなれば程よい緊張感を持って取り組めるはずである。

そして、実際、その間の集中力は中々のものとなっているはずだ。

 

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現実的な時間の使い方

必ず小分けにするべきか

さて、まとまった4時間を取ることができない場合は、1時間くらいの小分けにして、出来るときに出来るだけ進めてしまいましょう。ということだった。

ところが、偶然にもまとまった時間が取れた場合はどうだろうか、こんなときでも必ず小分けにしなければならないのだろうか。先程までの理屈であれば、「集中力のことを考えても4時間も保つことは無いだろう」と踏んでいたので、分けるべきであると思いそうだ。しかし、実際にはその限りではない。

スタンスとしては、1時間くらいに小分けしておきつつ、集中力が続くようであればそのまま続けてしまえば良い。1時間の作業を連続で+1時間、更に+1時間という雰囲気だ。

もちろん、その途中で疲れた来たのならば休憩を挟めば良い。疲れた状態で仕事を続けていたってどうせ捗らないし、最悪の場合ミスが増えてやり直しということになり兼ねない。

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小分けに対する不安

さて、現実的に1時間で小分けを実行しようと思ういろいろと疑問も出てくるはずである。例えば「どうも区切りの悪いところで中断することになりそうだ…」という場合もあるはずだ。また、小分けの大きさと同等に再開のタイミングをいつに持ってくるのかも気になるところだろう。

これらはいずれにしても、「仕事を中断してしまったら、再開する際に仕事を思い出すコストが結構掛かるんじゃないか!?」という不安から来ていると思われる。

結論から言えば、少なくとも仕事の再開に掛かるコストは、小分けで使えるはずの時間を持て余してしまうことに比べれば十分に小さいはずである。

例えば、仕事の再開時に思い出すコストが10分だとしよう。それならば、1時間の空き時間を有効に使うことには十分に意味があるはずだ。次回の1時間は50分を仕事を進めることに使える。30分の隙間時間でもマイナスにはならない。

少なくとも少しの空き時間だと思い込んで、知らぬ間に無駄にしてきた時間を考えれば、思い出すコストなどしれているのだ。

 

重要なのはまとまった時間が無いと仕事を開始できないという感覚を捨て去ることである。小分けにしてでも(多少区切りの付くところまで)進められるだけ進めるべきである。

 

本当に小分けが不可能なケース

例えばプログラミングをしているときのことを考えよう。プログラムのロジックを考えている途中で1時間がやってきてしまい、もう少しで何か閃きそうなのに、会議の時間が来てしまった…ということも起こりうるかもしれない。

このような場合、次回、ちゃんとそのロジックを思い起こし、自分の意図がどのようなものであったのかを短時間で把握できるであろうか。もしかしたら最初からやり直しなのかもしれない!という不安があるのも間違いない。

もしも途中で終了しなければならないときに、作業がすべて最初からやり直しになる恐れのあるものは、作業を小分けにすべきでない場合もある。

しかし、作業が本当の意味で最初からやり直しになるような場合というのはどのような場合だろうか。思いつく限り挙げてみて欲しい。例えば5個10個とそのような仕事を挙げられるだろうか。

意外とそんな仕事が最初からやり直しになるような場合は少ないのではないだろうか。

それでも仕事が最初からやり直しになってしまうケースは数少ないが存在するかもしれない。それならば、それらは優先的にまとまった時間を作るべきだ。そして、他の仕事をいつでも小分けしてやるようにすればいい。

自分のすべての仕事が最初から仕切り直しになってしまう類の仕事である、という人はそうそういないだろう(もしそうならば、そのような待遇で扱われ、予め集中できるような環境が用意されて然るべきだ)。

 

小分けの長さを決めるには見積もりが必要 

今回は一例として小分けは1時間としているが、もちろんコレは前後してもかまわない。1時間半で区切りがつきそうなら、そのような小さな時間を見つければ良いし、逆に1時間やると中途半端に進みすぎると思うならば30分という時間に小分けしても良い。

これは仕事がどれくらいの時間でどれほど進むかの見積もりができなければ難しいが、この見積もりは、やっていくうちに身につくはずだ(逆にやっていかなければ身につかないので、いつも残業任せだとずっと身につかないのだ