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本ブログで真面目なことを書くので、こちらではごく日常的な雑記で行きたいと思います

労働に対する考え方が変わってきたって話

 

 

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ボクの労働に対する考え方

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労働のこれまでの考え方

労働といえば、

自分の夢の実現をすべく会社というプラットフォームを活かして自分の能力を最大限発揮し、社会に貢献していくことである。

ということがまっぴら嘘であることはよく知られている事実であると思う。だいたい就職活動の決まり文句で、将来会社で実現したい夢だとか、どのように社会貢献していきたいかなどを述べさせられる。

面接官も、就活生も「そんなものは嘘」だと理解しているはずである。だけど、ありふれたどうでもいい話を綺麗な話に仕立て上げて面接で話す。時間の無駄というやつだが、これまでやってきたことだし、それを基準に合否判定してきたので、今更変えられないのだろうか。

 

本音は「お金が欲しい」のである。大体の人はそうだよね?

 

例えば月給が1000円だったとしたら、どれだけ偉大な仕事であろうとも誰も引き受けてはくれないであろう(まあ、大地主だったり、既に億万長者の人は知らないが)。ボクはお金を稼ぐ手段として労働をするものだと考えていた。

 

労働に本当に求めたいもの

ハッキリ言って、お金が無いと生きていけないことなど誰しもが分かりきったことである。だから、流石にどんなブラック企業でも月給が1000円ということはない。それでは生きていけないことは明らかだからだ(ブラック企業は生きられるくらいの給与はくれるだろう。死なれたら奴隷が一人消えるようなものだから)。

お金がある程度もらえることが前提であるとすれば、同じくらいお金をくれる企業が2つあったとしたら何で選ぶのだろうか。きっと、自分がやりたいこと、楽しいと思えることに近い方であろう。 

 

「お金を貰うためだけに働く」という感覚だけだと、もはや働いている時間に自我が無いような気がする。お金を貰うために自分を殺して生きなければならないシーンが多々出てくる。お金を貰うためになら我慢できることもある(し、今のところ我慢できる)。しかし、人生の時間の大部分を仕事に費やすのだから、そこに自我があって欲しい。いくら何でも、思考停止時間が長すぎるのは悲しいのである。

 

労働が人生を大きく占める。労働は人生設計そのものである。だからこそ自由に働き方が選べても良いんじゃないか。 

 

と思うようになった。これは贅沢なのだろうか。

 

経営者と労働者

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労働者は経営者に従うべきだが……

別に自分の現状に大きな不満があるわけではないが、世の中を広く眺めていると、不満を持っている人たちはたくさんいるように思う。その不満を持っている人たちの話は、ときにタダの我儘にも聞こえるが、「人生諦めれば?」みたいなやつもいるが、納得いく不満を持っている人たちもいる。

 

だいたい経営者の方が立場が上なのである。経営者が顎で労働者をこき使う場面は想像できても、その逆はないだろう。

労働者が経営者に従うのは当然と言えば当然である。会社の方針を決めるのは経営者だから(本当は資本家が経営者を決めるのだが)、それに沿って労働者は労働をするのである。経営者の方針に不服があるなら、それを伝えてもいいが、意見が割れたならば優先されるのは経営側の意見であるとボクは思うこれは、結果的に労働者側の意見が正しかったとしてもだ!)。

経営者はなにか達成したいことがあって経営をしている。そして、それを手伝ってくれる仲間を募っている。それが労働者だ。

 

つまり会社という枠組みの中で、経営者と労働者はそういう役割分担をしているのである。

 

そもそも経営者が主体となって会社を動かしているのだから、経営者が会社の方針として打ち出したものに労働者が従うのは当然である。

逆に、労働者は能力と労働力を、やりたいことをやっている経営者に貸しているのだから、お金を貰えるのはアタリマエのことだ。そういう対等な契約を交わしているのだ。スマホを使える代わりに月額料金を払うのと同じだ。

会社での指揮系統は役割分担上での話であり、決して人間関係として上下関係ではない。だから、何か違うと労働者が思ったならばまずは意見を出してみて(出さなくても良いかも)ダメなら辞めれば良いのである。

これは何も無責任なことではない。もちろん最低限の引き継ぎとか、会社に迷惑を掛けない配慮は必要だが、それは辞め方の問題であって、やめること自体を否定される筋合いなど無いのである。

 

 

転職とは

転職、これを酷い裏切り行為だと捉える会社はまだまだ多いと思う。労働者が契約内容に不服を持ったのだとすれば、果たして裏切ったのはどっちなのだろうか?その答えはいずれ分かるかもしれないし、一生分からなくても良いことかもしれない。労働者が高望みし過ぎなだけで、転職活動が上手くいかないかもしれない。経営者が労働者をこき使いすぎているのかもしれない。

 

いずれにしてももっと良い契約を見つけようと言うのが転職あることは間違い無いだろう。

 

余程のネジ曲がった性格の人間、あるいはブラック企業ではない限り、経営者と労働者が互いに互いを不幸に陥れるために労働・雇用契約を交わしているなんてことはないはずだ(もしそんな関係性なら即刻離れるべきである)。

互いが互いを都合良く使いたいという思いはあれど、それは自分が得をしたいという話であって、相手を損させたいわけではないはずである。だから転職をする時、相手を恨み合って別れるのはできれば避けたい。それは不本意なことである。

 

hyoro-gari.hatenablog.com

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経営者が労働者の能力を過小評価していたのだとすれば、結果として転職先で労働者の年収が上がるだろう。労働者が経営者の経営方針を見誤っているとすれば、いずれあのやり方は良かったのだと振り返る日が来るかもしれない。それはどういうパターンにしても結果論だ。もしも相手のことを見直す機会が互いにあった時、吟味して契約を再度交わすことがあっても良いと思う。

 

もちろん、会社にはもう新たな人材が居て受け入れることができない場合もあるだろう。労働者は新しい職場で十分満足しており、前の職場の契約が改善されるとしても戻りたいと思わない場合もあるだろう。どのような結果になろうとも、転職は裏切り行為ではない(どちらから側からみても)。

 

 

近頃の転職活動

paiza

IT/WEBエンジニアに特化した転職サイトだ。

転職するかどうかはともかくとして、プログラミングの問題を解きながらスキルを確認することができる。自分の向いている言語だったり分野が見えてこれば、それをしっかり伸ばして良い企業とのマッチングも期待できるかもしれない。

 

paiza.jp

 

github, qiita, blog

githubはプログラムの共有サイトのようなものである。

どのようなプログラムをどのように開発してきたのかの履歴を残すこともできるため、制作物それ自体だけでなく、自分がどれだけ盛んにプログラミングをしているのかなどもアピールできる。

github.com

 

Qiitaではプログラマー同士がいろいろな記事を書いて情報共有を行っている。ここで注目に値する記事をバンバン書いている人は、もしかしたら能力を買われて声がかかるかもしれない。

求人時に、githubやqiitaのアカウントがある場合には求めてくる会社もあったりする。

qiita.com

 

ブログも意外と有効だ。お仕事に関する話はボク自身も何度か相談を受けている。リンクでははてなブログを貼っているが、別にはてなブログである必要は全く無いと思う…

けど技術界隈、気のせいかはてなブログが多い気がする。なんでだろ?

hatenablog.com

 

 

ちなみに、電子情報界のからあげ先生はブログで転職活動実施中です。

これくらい制作物などがあると、ブログもしっかり有効なようですね!

karaage.hatenadiary.jp

 

よし、ブログ書こう。 

hyoro-gari.hatenablog.com